山内です。
今回はご報告となりますが。
このたび私山内一史は、父山内勉の後任として代表取締役に就任しました。
山内勉は会長へ就任いたします。
つきましては、誠に微力ではございますが、社業発展のために全力を尽くし
また皆様のご期待に添えますよう努力いたす所存でございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
挨拶だけではアレなので、私の家づくりへの想いを伝えさせていただきます。
大工の父が建てた実家で育ち、実家の和室でお施主さんと打合せをしている姿を今でも僅かながらに覚えています。
家の裏には作業場がありそこで父の他に大工さんたちが、手刻みで木材の加工をしていました。
今ではこんな狭い場所でと思いますが、子どもの頃はとても広く感じました。
そして庭先に小さなプレハブの事務所がたち、その後自宅の横に新しく鉄骨の現在の作業場ができました。
鉄骨の作業場の柱が建つときは、溶接の火花が飛び散って、目に良くないから見るなと言われましたが、そのころの光景も今でも目に焼き付いています。
プレハブの事務所では、父と母と社員さんと3人で仕事を始めた時も覚えています。
事務所と鉄骨の作業場には大工さんたちがよく出入りをし、その人たちと打合せをしていることも覚えています。
小学生4年生の時に現在の事務所が建ち、新しい社員さんも増えていきました。
そのころから将来は父の仕事を継ぐのだろうなと思っていました。
大村工業高校の建設工業科に入学し、その後福岡の建築の専門学校へ進学しました。
3年間の専門学校時代の時に2級建築士の免許を取得しましたが、そのころはバブル崩壊と消費税が3%から5%への増税後の影響で就職難になっていました。
父と同じように大工や現場監督などの道も探しましたが、消費税増税後の影響で住宅の仕事が低迷し思うような仕事に在りつけず、仕事が無いなら仕事を見つける仕事をしようと思い立ち営業職の道へ進みました。
福岡の地元工務店で営業職を始めましたが、そのころは大手ローコストビルダーが福岡ドームにモデルハウスを構え、坪単価24.8万円のCMを大量に流し福岡では大手ローコストビルダーの一人勝ちの状態でした。
そのようなローコスト住宅が全盛期の中でも、売上と利益ばかりを重視する地元工務店の新人営業マンの私は、毎日朝から夜遅くまで無休で頑張っても成績も思うように伸びず悩んでいました。
もうこの仕事は向いていないのかなと思うようになり、別の仕事へ進むことも考えて、父へ相談をしましたが、その時の父から「家の仕事がただ好きで続けているだけだから、嫌になったらやめればいい」と言われました。
地元で着実に家の仕事を続けている山内住建がなぜそれができているのか?
その時その一言になんとなく父の想いに気づき、大村に帰る決心をし現在に至るようになりました。
私の想いはその時と変わりません。
大村で好きな家の仕事が続けられ、そしてその想いを伝え、この地域に無くてはならない工務店をめざし、これからもお客様の家づくりに誠実に向き合っていきたいと思います。
これからも会長とともに親子二人三脚で頑張ってまいります。
大変な時に就任となり不安はありますが、これからも山内住建をどうぞよろしくお願いいたします。
すみませんダイエットコーナーは来週へ延期します。